2019年05月22日

25年という年月を考えて!

父が亡くなって25年がたち、自分が歩んできた道を今一度、振り返り、いろいろと当時どんな気持であったかを思い出していました。当時私は専門学校の教員で指圧実技を教えていました。朝は9時から授業で12時過ぎは患者さんの指圧治療にあたり、18時からは午前同様、夜間部の90分の授業を二コマ、21時過ぎまで行っていました。当時、指圧実技の教員は常勤が3名、浪越満都子、藤井正弘、浪越孝の3人のみでしたのでその他の指圧実技は非常勤講師の皆さんとともに連携を組み、シュラバスを作っていました。授業の根幹となる教科書は父、浪越徹の著書を教科書にすることを祖父浪越徳治郎が決定し、世界共通の指圧の教科書となりました。1980年代、父の功績もあり大英辞典に日本で生まれた指圧が日本語の母国語のままSHIATSUとして掲載されるに至るのです。1994年に父が亡くなった時、私は31歳になったばかりでしたが、何でも相談にのってもらえて、仕事に関することも父なしでは考えられませんでしたので先行きの不安も含め、自分自身ですべて物事を考えていかなければならない環境になったのですが、これも父から与えられた宿題を自分で解いていきなさいということなんだと思い生きてきました。25年間を振り返り、仕事においては自分の描いていた理想にだいぶ近づいてきたことに加え、祖父と父の理念を忘れずに、さらなる時代の変化とともに臨床技術をデフォルメした患者様への指圧治療を確立し提供できることに専心出来ていることを幸せだと感じています。病院での指圧研究も含め、祖父と父の時代では確立できなかった、指圧療法のエビデンス確立に向けて、指圧を医療として研究対象に認定してくださった医師と出会えたことに心から感謝すると同時に誇りに思っています。25年間を振り返って帝国ホテルプラザに自分の理想とする指圧サロンを作れたこと、現在も自分が元気で現役で現場にたてるのも、どんな時も私を支えてくれた家族に感謝しています。2001年に銀座に治療院を作り、たくさんの素晴らしい皆さんと出会えてこと、帝国ホテルプラザにおいても更なる素晴らしい人脈を作って頂けたこと、たくさんの出会いを得られたことにも自分は人に助けられてきたのだということに本当に感謝しています。年内には指圧のエビデンスについての良いご報告が出来るのではないかと思います。25年をふりかえり、一言では言い表せませんが、良かったこと悪かったことも含め、すべての物事に自分自身、良い勉強になったと思っています。
posted by Mr.7354 at 06:57| 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする