今日、父親が生きていたら90歳卒寿の日でした。私が2,000グラムの仮死状態の低体重児で生まれてきた時、医師からは母と私、二人共、母子ともに助からないと言われたそうですが幸運にも母子ともに命を長らえる事が出来ました。その時、父は母に「この子をどんなことがあっても立派に育てる」と言ったそうです。そして父は毎日、羽のような優しい指圧を未熟児の私に続けてくれたそうです。その結果、奇跡的に助かった命が三か月後には標準体重に至るまでになったそうです。今の私があるのは父のお陰です。父がいなかったら、今の私は存在しなかったのではないかと心から思います。これからも父から教わったことを忘れずに忠実に一生懸命に後進の育成と患者様のために全身全霊で指圧道に徹していきたいと思います。私自身、残りの人生を人に喜ばれるように命の限り邁進して参る所存です。今後も父の志を正しく後進に紡いでいきたいと思います。
2021年02月27日
父親の卒寿の日
今日、父親が生きていたら90歳卒寿の日でした。私が2,000グラムの仮死状態の低体重児で生まれてきた時、医師からは母と私、二人共、母子ともに助からないと言われたそうですが幸運にも母子ともに命を長らえる事が出来ました。その時、父は母に「この子をどんなことがあっても立派に育てる」と言ったそうです。そして父は毎日、羽のような優しい指圧を未熟児の私に続けてくれたそうです。その結果、奇跡的に助かった命が三か月後には標準体重に至るまでになったそうです。今の私があるのは父のお陰です。父がいなかったら、今の私は存在しなかったのではないかと心から思います。これからも父から教わったことを忘れずに忠実に一生懸命に後進の育成と患者様のために全身全霊で指圧道に徹していきたいと思います。私自身、残りの人生を人に喜ばれるように命の限り邁進して参る所存です。今後も父の志を正しく後進に紡いでいきたいと思います。